さいきん、突っ込むやからがいなくてさびしく思っていたら・・(笑
サイボーグ技術が人間を変えているコトで、鶴見六百氏がおもろいことかいてるじゃん。
どっちもどっちだと思うんだが・・・客観的に見て・・・いや、僕の主観が入った客観性で言えば、森昭雄氏のゲーム脳もそれに反対するほうも、どちらも「論理的道筋が通った、誰にでもわかる説明は出来ていない」と思っている。これは大いにやりあうべきだと思う。そして、その結果、どちらかが、もしくは双方が敗北するわけだが、そのときに、ちゃんと大人の対応が出来れば良いんじゃないの? と思うわけだ。
「ニセ科学」と言い切ってしまうのは、何なのだが、わからないことをとことんまで突き詰めて、そして、「論理的道筋が通った、誰にでもわかる説明は出来た」とき、立派な科学になるのだから、それまでは、「ニセ化学」でも「似非科学」でもいいんじゃいの?
「自分が理解できないこと」という理由で、「ニセ化学だ!」といって、攻撃するというのは大人のやることじゃないと思うし、ちゃんと「違う」ということを「論理的道筋が通った、誰にでもわかる説明」しないといけないと思うのだよ。わしは。
まぁ、彼のことだから、いきなり「ハンターイ!」みたいなことはしないだろうけど。
なんか、今日は文体が砕けてるな・・・ま、いいか(笑
もうひとついえることは、こういった「ニセ」とか「似非」とか言われているほうも言うほうも、ちゃんと一般大衆にわかるように説明する義務があると思うわけだ。それをしないで、メリットだけとか、デメリットだけとかを説明して、その判断を大衆に委ねないのは、ファシズムじゃないの?とも思うわけだ。「~~~してると、馬鹿になるよ」というのは自由だが、根拠があいまいだったり不明瞭だったりする状態で、大衆を恐怖に陥れてしまうのは、「恐怖政治」といっしょだろ?と思うわけだ。ただし、「科学」なわけだから、「プレゼンテーションがうまければ、うそも方言」という手法は使って欲しくないな。
というわけで、今度、僕の「似非科学」で、君の車を「ファイン・チューン」してあげるよ。待っててね。
#「似非」と「ニセ」は違うだろうと言う突っ込みは今回は「なし」でお願いします。
#御手柔らかに。六百殿。
#笑