永井俊哉ドットコム論文編からもTBを受けたので、
ヒューマノイドの多機能化にTB返し
確かに、目的に応じたロボットをその都度作るよりも、何にでも使えるロボットを作ったほうが応用範囲が広がるように見えます。しかし、何にでも使える道具は、何にも使えません。多機能なスイスナイフが登山でしか使われないなど、多機能になればなるほど、使われる範囲は限られるというパラドックスがあります。
どんな評価軸を持って評価(判断)するかにもよりますが、僕自身の持つ評価軸で言えば、スイスナイフ(十得ナイフ)は、利用者にとって携帯しやすいという側面は持ちますが、利用しやすい道具では無いと思います。利用しやすい道具でなければ、利用しないのは当然だと思います。多機能だから利用されないのとは、趣が違うと思います。
多機能であればあるほど、利用者が利用方法を覚える必要が多くなります。覚えきれなくなると必然的に覚えたものや何度も使うような機能だけを使うようになり、その結果、単機能でも良いから覚えなくても利用できるものを好む傾向にあると思います。
人間をアシストしてくれれば、多機能であってもそれら全ての機能を使うことは可能だと思います。
ですから、「多機能=結局は何も使えない」というのはパラドックス(paradox)なのではなく、人間が追いつかないだけなので、人間をアシストする必要があり、そのアシストする方法が確立すれば、「多機能=何にでも使える」が成立すると思っています。
ただ単にアシストすれば良いというだけではなく、利用者にとって使用しやすいものであることも必要条件の一つだと思います。
結局、「使ってもらいたい」のなら、単純に機能を詰め込むのではなく、利用しやすいように機能を詰め込む必要があると思います。
あと、自分で書いていて、「人間用のインターフェースだけを作ればよいという利点」は、詭弁だなぁと思ったわけですが・・・・(笑。
例えば、ガンダムが銃を撃つときに引き金を引くという動作は、合理的に考えれば、まったく不要なアクションなわけで、「可動部分が多ければ、それだけ故障箇所が多くなる」の理屈で言えば、こんなところまで人間的なインターフェースを残す必要性はまったくないので。
普段人間が使っているインターフェースを肩代わりさせるつもりであれば、やっぱり必要なのでしょうね。